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上海便り
1998.10.23 第四十三便、放送に見る10年の変化
「10年ひと昔」という言葉が上海ほど実感を持って感じられる都市は他に無いでしょう。これは古い長屋が取り壊されて超高層マンション群に姿を変えてゆく様子で一目瞭然ですが、テレビ番組を通じた文化面でもその変化は凄まじいモノがあります。88年当時の上海テレビ事情は、全国同一番組の中央電視台が2ch、上海電視台が1chの合計3chでした。ニュースは新聞報道と呼ばれますが2回繰り返して流され、お昼のニュースは昨夜の再放送という信じられない状況。また古いドラマは各局で融通し合いフィルムがすり減るまで放映され、当時は週休1日制で通常通り仕事を終えた土曜夜の黄金時間には70年代の洋画が一本、零時には花の絵と「晩安」=Good Nightの文字が画面に映り放送終了でした。

昼間は放送中断で時折、企業会計とかパソコンか何かの教育番組で講師が黒板に何やら漢字をぎっしり書きながら喋っていました。こんな状況ですから家にはソニーの短波ラジオがありました。これで(今でも有るのでしょうか?)NHKの国際放送や英国BBC、確か香港かシンガポール中継を聞いていたのです。中国人もアメリカVOAの夜の中国語ニュースは必ず聞いていました。ジャミングと言ってソ連や中国などはこうした西側放送に妨害電波で応戦していた時代です。

日本では70年代に海外からの短波放送を聞くBCLというホビーが流行りました。未だ簡単に海外に出掛けられる状況でなかった島国日本で海外から電波でやってくる情報にはそれなりの価値があったのです。その後ニクソンショック以降の円高、ジャンボ機就航による大量座席供給と2度の石油ショックを乗り越えた長期成長の結果、海外が日常化。更に数百チャンネルのテレビ番組が宇宙から降り注ぎ、インターネットで世界中に情報発信できる98年の今となっては、アマチュア無線同様に今後このような趣味が流行ることは多分無いと思います。

上海でもケーブルテレビが普及し中国全土向けに上海衛星放送も始まりました。週末にはヒットチャートや最新の洋画が流れ、勿論ニュースが再放送されることは有りません。また最も進歩したのはTVCMです。88年当時は高校の放送クラブ程度の出来映えで下手なアニメと音の割れたオールディーズをバックに商品名を叫ぶ様なものが殆どでした。ところが現在はIntelのPentiumやIBMのE−ビジネスなど日本のものと全く同じです。(当然中国語)

また日系企業も総じて出来映えが良く、日立は中国語で「この木何の木」を歌っています。東芝ラップトップのCMは日本では流れていませんが、終始無言であるものの「信頼性」を訴えるには十分迫力があり日本でもそのまま使えそうです。またアサヒビール、サントリー、キリンビバレッジ、日清食品等の食品、花王やユニ・チャーム(生理用品や化粧品)も日本と同レベルでしょう。この事こそ中国経済が発展した結果でありやがて21世紀には世界レベルに収斂されるのでしょう。

(丸加物産株式会社 代表取締役 藤川 洋)

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