数年前、「縮み思考の日本人」という本が話題になったが、俳句や盆栽はともかくLSIの設計やナノテク時代に生来適応できるのが日本人と考えればまあ良いではないかと気に掛けなかった。ところが2002年の現在、3面記事的な報道だけみても中学生が集団で社会的弱者を襲ったり、成人式で意味不明に暴れたり、或いは売上1,000億の老舗企業が僅か数百万円の粗利を得る為に会社存続を掛けた組織的愚行に及んだりと???な事件が立て続けによくも起こるものだ。もちろん真面目に夢を追い掛けている中学生や、こうした組織の中でも地道に努力している人達が大多数だと思うし、あまりセンセーショナルに取りあげるのもどうかと思うが。
一方中国では日本人感覚でも天文学的金額の汚職摘発(それも単独犯)など「デカい事がいい事だ」といった感すらある。ただ知りうる限り上海に限れば非常にクリーンかつ効率的な行政サービスが期待でき、こうした報道は殆どが外地であることを付け加えておく。
上海人と10年以上接して意識するようになったのは彼らのあくなき「発展的論理思考」である。特に仕事の進め方では顕著で状況変化に機敏に対応、時として「冷徹、恩知らず」とも思える行動に出る。ただこれもパートナーと心中するより先に成果を掴み、自分に余裕が出来たら後で別の組み方をしましょうという10年単位のロングタームな付き合いの一環であることも多い。実際ビジネスでも最重要視する朋友とは一般に付き合いの長さに比例するがこれがアメリカ的合理主義とは異なる。
浪花節が悪いとは思わないが内向き調整にエネルギーを使い果たし枯渇したのでは元も子もない。そういう意味では今回小泉首相の外相更迭はこれまでの日本人的思考とは異なり新鮮で妥当な判断であったのかも知れない。